2015年08月23日

現代の恩事情

「恩を売る」「恩を買う」など、「恩」も他の「商品」同様、金銭で売り買いができるんですね?
その点について考える前に、
今回は、お金とは何か・・・についてまず考えてみましょう。

お金とは何か?・・・経済学的には、次の3点があげられます。
① 交換手段
② 価値尺度
③ 価値貯蔵

まずは、①の交換手段について。
物々交換の社会では、自分が欲しいものを相手が持っており、
同時に相手が欲しいものを自分が持っている
・・・という条件が成立した時に初めて、交換が成り立ちます。
裏を返せば、自分が魚を持っている時、この魚を腐らさない前に、
自分の欲しいものと交換できる可能性は少ないということです。
そこで、自分の持っている魚を、自分の欲しいものと換えるのではなく、
一般的にみんなが欲しがるものにいったん交換し、それを持って、自分の欲しい物を探せば、
魚を腐らせることもないわけですね。
そこで、腐ったり変形したりしないもの、それが、「貝」であったり、「布」であったりするわけです。
ここから交換手段としてのお金が誕生します。

次に②の価値尺度
一般的に、違う種類の物は比較できません。「りんご」と「洋服」など本来比べることはできません。
しかし、ここにお金が仲立ちすれば、比較可能になります。
1個100円の「リンゴ」と1着1000円の「洋服」では、
「リンゴ」10個と「洋服」一着が同等となりますね。このように、世界中のすべてのものを
お金に換算することにより、比較が可能となります。

最後に ③の価値貯蔵
これは、解りますよね。魚や肉は貯蔵できませんので、余った分は捨てるしかありませんが、
お金に換えることにより、同等の価値として貯蔵できることになります。
このように、お金には
① 物を交換したり、
② 物の価値を測ったり、
③ 価値そのものとして貯蓄したり、
という働きがあり、それが、現在の資本主義経済を支えていることになります。

さて、物々交換からやがてみんなが欲しがる貝や布を
媒介として、お金が誕生したのですが、
この物を交換する際、実はすでに、「恩」が交換されていたと私は思います。

例えば、病気で薬草が欲しい人にとっては、
薬草を交換してもらったときは、多大な「恩」を感じたに違いありません。
それが、あげた人にとっては身近に生えている雑草でもです。
山の上の民にとって、身近に見たこともない「貝」をもらったとき、
うれしくて、「恩」を感じたに違いありません。
海の民にとっても、身近に見たこともない「動物の牙」などは、
欲しくて欲しくてたまらない物だったのでしょう。

ある人にとっては、身近にあり、たいして価値のないものでも、
他の人にとっては、欲しくて仕方のない価値のあるものだったりするのです。
その際、あげた人にとってはなんでもないことですが、
もらった側からすると、こんな珍しいもの、こんな大切なもの・・・
となり、「恩」を感じてしまうわけです。

このように、物々交換の社会では、
双方共に自分にとってはありふれたものですが、
相手にとっては必要なものを、取引した場合
「恩」も同時に取引されていたのです。

それが、お金の登場で、少し事情が変わってきます。
すべてのものに、②のように価値尺度がついたのです。
先ほど述べた、「薬草」なども、
お金が仲立ちをしない場合、命にも代えがたいものだったはずですが、
お金が仲立ちをした場合、「薬草」一束100円となっていれば、
それを支払いさえすれば、「恩」に着なくて済むのです。

浦島太郎のカメは、
「助けてくれてありがとう」と言って、1万円でも渡せばそれで、「恩」はなし、
もし、浦島太郎がケチだったら、「ちぇ、1万円ぽっちかよ、助けなきゃよかった・・・」
となってしまいます。

物々交換の際、相手に対する思いやりから、自分の身近なものをあげ(与恩)
受け取った側は、命を代えてでも補いきれないほどのありがたさを感じ(受恩)ていたのですが、
お金に価値返還されることで、この「与恩」「受恩」の関係が薄れてきたのです。

「恩」が売り買いされる時代は、
「恩」が逆に金銭化され、重たく私たちの生活を圧迫し始めています。

相手からもらったもの、やってもらった行為を金銭化し、
それ相当の物で代償を返す(返さなければならない)と思う社会に変わってきたのです。

物が少ない時代は、自分の持っている少し余分なものあげたら喜ばれました。
なんでもない時にあげると、施しになってしまいますが、盆・正月にあげれば、あいさつ代わりとなります。
昔の人は、上手に「恩」のやりとりを行っていたんですね。

それが、物があふれる今の時代、相手が真に欲しい物を探すのも大変になりました。
良かれと思ってあげたものを、「恩」着せがましいと思われてしまいかねません。

今の時代は、人間関係をまず確立し、
相互に贈り合って喜ぶものを話し合って贈り物をしなければならないのかもしれませんね。

贈り上手な人は、
何を贈れば喜んでもらえるかな・・・と考えながら街を歩き、
街を歩きながら、物を見て「これあの人が喜ぶかも」とふと思い出すような
相手に対する思いやりが真にある人かもしれません。

今の時代、「恩」を上手に売れる人は、本物の利他主義なんでしょうね。
本物の利他主義にはなれませんが、「ペイフォアード」という映画が以前ありました。
自分が受けた「恩」一つに対し、受けた相手以外の人3人に「恩」を返す。
これを実行すると、世の中が変わるという映画です。

インターネットがなかった時代の映画ですが、今、ネットを使えば、3人どころではなく、
数十、数百人単位で「恩」の拡散が可能です。
自分にとってなんでもない些細な行為が、受け取る人にとってはかけがえのない「恩」になる。
そんなネット社会が構築されると、世の中はもっと住み心地良い社会になるかもしれませんね。



Posted by ソクラテス at 21:23