2015年09月21日

ネット社会と片付け

わたしたちは普通、片づいている空間を想像すると
何も無い空間を想像します。
ダイニングテーブルの上には何も無い
畳座の部屋には何も無い空間
ところが、押入れを開ければ物が雑然と押し込められています。
子供の学習机の上はきれいに片づいています。
しかし、引き出しの中には、プリントやらおもちゃやら・・・

東京の予備校で勤めた時、
机の上は電話機とパソコン以外
何も置いてはいけないのが規則でした。
見た目はすっきりしていますが、
社会と国語を教えていた私にとって、
教材研究の資料(辞書・資料集その他・・・)が机の上に置けないので、
いつも仕事は持ち帰りでした。

沖縄の予備校で勤めているときは、
隣の先生の本が、私の机に侵入するほど
雑然と机の上が散らかっていました。
ほとんどの先生がそうでした。
でも、面白いことに、ほとんどの先生が
欲しい資料、本を、
雑然と散らかった中から即座に取り出すんですよね。
机の上は散らかっているようで、
実は、どこに何があるかは、キチンと整理されているんですよね。
でも、整頓されていない。

ただし、そんな予備校でも、
事務室や図書室では、すべてファイリングされていて、
誰がでも即資料を見つけ出し、使えるようにしてありました。
整理整頓が行き届いていました。

今パソコンを使うようになって思うのですが、
パソコン作成文書をファイリングやフォルダリングできる人は、
整理整頓が行き届いている人なんですね。
そのような人を見ると羨ましく思います。
きっと私のパソコンの中は、まったく整頓されていない状態なんでしょう。

ただ、整頓されていなくても仕事上困ることはありません。
何がどこに入っているかは、自分でわかりますので、
すぐに引っ張り出して使うことができるからです。
私の仕事をもし誰かに引き継ごうとしたら、
引き継ぐ人はきっと大変だと思います。
探すのが大変ですから・・・

でも、その意味では、セキュリティはしっかりしていると思います。
ファイリングの得意な人のパソコンは、
きっと、だれが使っても欲しい資料が手に入るようになっているんでしょうね。
このみんなの目に触れるように片づけるのが、西洋的な片づけ術なんだと私は思います。

西洋的価値観では、公と私を完全に分けます。
「私的部分」での西洋の片付け術は、多種多様だと思います。
しかし「公的部分」での片づけはかなり徹底されていると思います。
アメリカでは、秘密保護のかかった文書も
一定の期間を過ぎれば、情報公開されます。
情報は公開されることを前提に作られています。
(日本の秘密保護法では破棄しても良い公文書もあるようです)
むしろ、インターネットは「公」の部分を意識して発展しているため、
世界中の人が誰でも使えるシステムになったんだと思います。
それを「公私混同」して使っているのが、
現代日本人のネット問題の一つだと思います。

ネット活用の際、公私をきちっと分け、
「公」はファイリングをしっかりし、読み手にわかりやすいように、
「私」的な部分は、あまり整理せず、
むしろネットに頼らないようにした方が良いと思いませんか?


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Posted by ソクラテス at 14:50 │祓う・清める・片づける