2015年11月01日

先入観的人間観

最近、中学生や高校生が被害者となる殺人事件が発生しました。
そんな時気になるのが、マスコミの報道
被害者や加害者の人物像に迫り、
どんな人間だったか、
どんな境遇で暮らしたか
だから殺されても仕方がない
加害者になったのは本人のせいではなく、環境のせい
などなど・・・
社会学者、心理学者、教育学者がさまざまに分析し解説を加え
殺人事件を視聴者が納得のいく理屈にまとめ上げていく、
そして、少年法を改正・教育を変えろ・社会の仕組みを・・・と、
今後の政策の提言をしていく。

この一連の流れに私は腑に落ちないものがあるんですね。

そもそも、他人の人間性を言い当てることができるのでしょうか・・・
「殺された人はどんな人物でした・・・」
という質問に私は答えきれないと思っています。
確かにある一面の人物像には迫ることができるとは思うのですが、
それが全体でないのは明らかです。

仏教では「十心論」というのがあります。
もともとは、魂の住む世界を表していたのですが、
天台宗や日蓮宗などでは、心の在り方や修行の段階などとして理論化されてきました。

1 地獄界 どうにもならない自分の境遇や社会の在り方を他者のせいにし恨む心

2 餓鬼界 満たされない欲望に振り回されて生きる心

3 畜生界 因果応報の原理を知らず本能のまま生きる心

4 修羅界 名誉・地位・学歴・金銭などを競い合う心

5 人間界 相互扶助の精神で助け合う心

6 天上界 無償の精神で他者を救済するボランティア精神の心

ここまでは六道輪廻といい、この6つの心が繰り返されます。
例えば、ボランティア活動(天上界)をしながらも
思う通りのボランティア活動ができないと、他者を恨んだり(地獄界)、
相互扶助の活動(人間界)をしながらも、
役割分担、役員改選などで競い合ったり(修羅界)など、
人間の心はこの6つの世界を一瞬一瞬常に動き続け
結果的に苦しむことになるのです。

そこで、仏教に出会い、仏教の真理に向かって学び始めた時、

7 声聞界 仏の声を聴いて真理(無常)を理解

8 縁覚界 さまざまな縁を通して真理(無常)を体得

ここまでは自己の悟りとして、
いかなる場面でも自分の心を整え、
人や環境に振り回されない心を保つことができるようになります。

9 菩薩界 真理(無常)を世に広める

ここまで来ると他者救済ができるようになります。
ここの救済とは、6の天上界のようなボランティア的救済ではなく、
魂の救済、心の救済ということになります。

そして
10 仏界  宇宙と生命を貫く妙法を体現する世界

ここが、仏様や如来様の境地

魂の住む世界の考えでは、この9番目の菩薩界の魂が、
5番目の人間界に生まれ変わり、
私たちにさまざまな形で仏縁を知らせようとしている・・・と考えます。

しかし、心の在り方としての十界の考えでは、
この十界とは、人間の心の中に存在するものであり、
人間は、この10の心の在り方が、
一瞬一瞬移り変わっていると考えるんですね。

ある時は修羅のような人が、菩薩の側面を見せたり、
仏のような人が、餓鬼の側面を見せたりと、
人間の多面性を強調します。
そして、常に仏のような人物でも、
悪縁により、突然地獄のような心を出してしまう可能性がある・・・と説きます。
私たちは、たまたま人を殺したりするような縁に出会わないので
人を殺さず生きていますが、
いつ悪縁が降りかかるかもしれない、
そうなった時、人を殺す可能性は誰にでもある・・・というんですね。

そこで、いついかなる場合にも心の状態を
菩薩界や仏界の状態に保つように修行を重ねる必要があるんですね。

最初に述べた、殺人事件の報道の中には、
この悪縁(これは性格・境遇などとは全く別のもの)が考慮されていません。
仏のような人が、一瞬の迷いで殺人者となる可能性があるのが、
この世の悪縁なのです。

逆にいつも餓鬼のように生きている人が、
良縁によりふっと仏心を出すこともあるのです。
常に表に出ている性格がその人のすべてではなく、
すべての人に心の十界が備わっており、
すべての人が、菩薩界・仏界の心で生きていける社会
これが、理想的な社会なのかもしれませんね。


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Posted by ソクラテス at 19:12 │固定観念