2015年11月01日

固定観念 その思想的アプローチ

さて、今回のテーマは「先入観・固定観念」ですね。
固定観念をキーワードに西洋思想と東洋思想を見てみると、

西洋思想は「固定観念の更新」
東洋思想は「固定観念からの脱却」
と言えるかも知れません。

西洋思想は世界を説明する根本原理を求める思想と言えるでしょう。

哲学の始まりの自然哲学者たちは
万物の根源を様々に定義しました。
「万物の根源は水である」(タレス)
「万物の根源は火である」(ヘラクレイトス)
「万物の根源は数である」(ピタゴラス)
「万物の根源はアトム(原子)である」(デモクリトス)

この定義のもと、自然現象を説明し、人間のあるべき姿を主張しました。
当時はまさに、それぞれの固定観念を主張すべく
議論が沸騰したんでしょうね。
その甲斐張って、「弁論術」は発達します。

その論争にけりをつけたのが、プロタゴラスという人。
同じ水を「熱い」という人もいれば「冷たい」という人もいる。
結局「万物の尺度は人間」であり、
「普遍的に正しいという真理はない」と言い切っちゃったんですね。

それに反論して「普遍的真理はある」と主張したのが、ソクラテス
みんながその真理を知らないにも関わらず、知ったかぶりをしていると主張
「無知の知」を自覚させるため、街頭弁論を開始、
結局、みんなの反感を買って、死刑に追いやられてしまいます。

その後、西洋思想は
「普遍的真理(いつでも・どこでも・だれにでも成り立つ真理)」を追究し続けます。
(中世キリスト教の時代は除きます)

デカルトは「人間には理性がある」という定義のもと、
理性的に正しいものを積み重ねるという演繹法を提唱

ベーコンは「人間は偏見(イドラ)を持ち、常に間違う存在」と定義し、
人間の理性によらず、
実験観察による、間違いのない真理を積み重ねるという帰納法を提唱

カントは「人間の理性にも限界があり、実験観察にも限界がある」とし、
人間の知り得る範囲は限界があるが、
理性と実験観察の発達により、その限界を乗り越えることができる。

(参考)現代科学者クーンは、この理性と実験観察の飛躍的発展を
「パラダイムの転換」と呼び、
科学の歴史は「パラダイム転換の歴史」ととらえます。

さて、普遍的真理を追究してきた西洋で、
「今、ここに生きる、自分のための真理」を新たに提唱した思想家が現れます。

現実存在を追求した実存主義者たちです。
キルケゴールに始まり、ヤスパース、ハイデガー、サルトルなどです。

そのさなか、第一次・第二次世界大戦により壊滅的な打撃を受けた西洋は、
自らの思想に警鐘を鳴らすべく、新たな思想、
構造主義を打ち立てたり、
西洋中心思想や
自由と理性を絶対視するような思想を見直そうとする思想が登場します。

このように、西洋思想は、その思想の基本となる定義を常に更新し、
その更新した定義に基づいて、世界を語り、人間を語ってきました。
これら、すべての定義は間違っている訳ではありません。
すべて、この世界や人間性の一面なのです。
その一面を強調し、その固定観念によって世界を語る、
これが西洋思想の発展の過程なのだと私は考えます。

それに対し、東洋思想は
固定観念からの脱却を通してより深化した思想へと発展しているのだと私は考えます。

当時のカースト制という固定観念から脱却し仏教を広めたお釈迦さまは、
自分の生まれ故郷「シャカ族」が隣国の「コーサラ国」に滅ぼされる時も、
シャカ族の傲慢な態度(悪業)がもたらしたこと、どうにもならない、と
祖国を救わなければ・・・という固定観念さえ捨て、
「諸行無常」や「悪因悪果」を弟子たちに説いたと言われています。

中国の思想である「儒教」も後世、朱子学や陽明学へと深化し、
アジア各地に広がっています。

老子が始めたとされる、道教もアジアの各地の土俗の宗教として
各地の伝統や習俗を取り入れながら、受け継がれています。

日本では、中国で始まった「密教」が
空海によりさらに深化され現代の四国霊場巡りにも活かされています。

また同じく中国から伝わった禅宗が、
武士の生き方の中で深化され、武士道として確立しました。
武士道だけではなく、茶道や華道、能などの芸術や、
匠の技などにも、禅的思想が取り入れられ、
現代に受け継がれています。

このように、東洋では紀元前500年ごろ始まった様々な思想が
時代の変化、地域の実情などに伴い
受け継がれ、深化され現代に至ります。

特に日本では、仏教と儒教の融合や
神道と仏教の融合なども行われます。
これは、固定観念にとらわれず、
よい物はすべて吸収するという思想の現れだと私は思います。

このように、西洋思想は固定観念の更新であり、
激動の現代、新たな更新的思想が求められています。

東洋では新たな思想というより、
今何が間違っていたのか、それを検証し、
これまでの思想のより深化が図られるのでしょう。

特に現代日本では、西洋からの借りものである、
「自由」「民主主義」などが、
どれだけ日本的深化を遂げるかが
未来の日本を占うカギになるのかもしれませんね。


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Posted by ソクラテス at 19:19 │固定観念