2012年01月20日

西洋の有神論的実存

さて、次回「門CAFE」のテーマは実存主義ですね。

まずは、西洋の「有神論的実存主義」から、プチ哲学してみます。

実存主義とは、

「今・ここ・自分」にとっての真理を求める考えです。

それまでの西洋思想は

普遍的真理

「いつでも・どこでも・だれにでも」適用される真理

を求めてきました。

キルケゴールは「今の私(達)には、普遍的真理より、

現実に存在する私にとっての真理『主体的真理』が必要」

と宣言したんですね。

それが、実存主義の始まりです。

今回はその「実存主義」の一つの流れ、

「有神論的実存主義」を簡単に説明します。

キルケゴールは、主体的真理を考えるようになるきっかけは、

絶望

だといいます。

たしか、パンドラの箱の最後に出たのが「希望」だったと思うのですが、

その「希望」が絶たれた状態・・・「絶望」こそ、

主体的真理への、きっかけになるというんですね。

生涯、「絶望」とは無縁で生活し、死んでいく人には

この「実存主義」は必要ないことになります。

さて、絶望した人間はどうなるか・・・?

まずは憂さ晴らしを始める。

酒・ばくち・食べ放題を渡り歩く・カラオケ・・・

これが、「美的実存」の段階

この段階で生を終える人もいます。

アル中で「酒」を禁止された人が、

「酒が飲めて死ねるなら本望」・・・と

言っているのが、「美的実存」に生きる人なんでしょうね。

しかし、この「美的実存」も長くは続かず、やがて

絶望

次は、ボランティアや地域貢献につとめるようになる。

海岸清掃、登山清掃、地域安全パトロール・・・などなど

これが、「倫理的実存」の段階

この段階で生を終える人は、「人生悔いなし」

と、自分の人生を振り返ることができるのかも。

でも、キルケゴールは、ここでは終わりません。

この「倫理的実存」もそう長くは続きません。

熱心にやればやるほど、ストレスがたまる。

海岸清掃したかと思えば、1週間後にはもう汚されている。

やがて、「海岸を汚す人」を憎むようになり、

優しい心根の人であればあるほど、

そう感じている自分に

絶望

最後にたどりつくのが、「宗教的実存」

海岸を汚す人を憎んでいるこの「私をも」受け入れてくれる

神のもとで、「主体的な生き方」を手に入れる!

ここの解説は、私自身、クリスチャンではありませんので、

控えさせていただきます。

以上がキルケゴールの「実存哲学」です。

もう一人の「有神論的実存主義者」

ヤスパースは、

キルケゴールのように、やたら段階を踏みません。

「主体的真理」へのきっかけは、ズバリ

「限界状況」(死・争・責・苦)

これらの限界状況に直面した時、

人間は有限な自分の存在に気づかされる。

同時に、有限の向こう側の存在にも気づく!

みなさんも考えませんでした・・・?

宇宙には果てがあるのかな・・・?

もし果てがあるとしたら、

その果ての向こうはどうなっているのかな・・・?

これと同じような思考だと思うんですね。

人間が有限な存在だとしたら、

有限の向こうは何なのかな・・・

もし、無限な存在があるのなら、

有限な人間同士のつながりではなく、

無限な存在とのつながりをまず作らなければ・・・!

そうすることで、「限界状況」を乗り越えていくわけですね。

これが、ヤスパースの「実存哲学」です。

ここから先を知りたい方は、

是非クリスチャンとお話してみてください。

ここは「門CAFE」

知的好奇心への入り口ですので。


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