2012年02月24日

フロムの自由論

前回、サルトルの自由論で、

選択の自由は「結果責任」を伴う

と書きましたが、

「だったら、そんな自由はいらない・・・」

という人もいるかもしれません。

「自由からの逃走」ですね。

実は、これはフロムの著書名です。

「自由から逃走する人々が全体主義を生んだ」

とフロムは言います。

フロムの自由論、詳しく見ていきましょう。

日本人が一般的に考える「自由」は、

シマコさんがこのブログ内「自由って?」で書いてある通り、

今まで、縛られていた何か(親・学校・年齢制限・・・!)

からの解放感を感じた時だと思います。

フロムの考える自由もまさにその通りなんですね。

フロムは言います。

  私たちは、生まれるとすぐ、第一次的絆に結ばれている。

「家族の絆」・「地域の絆」・・・などです。

この「絆」は、私たちを守ってくれていて、

私たちに「安心感」や「帰属感」を与えます。

しかし、その半面、私たちを束縛する「絆」でもあります。

フロムが言う「自由」とは、この「絆」を断ち切っていくことなんですね。

つまり、「安心感」や「帰属感」を与えていた「絆」を断ち切り、

1個の人間として、社会に関わっていくことなんです。

その際、個人が、周りに影響されない、

自立した人間として成長していれば良いのですが、

    (本当の「自由」を満喫できる)

残念ながら、多くの人は、そうではないため、

孤独感、不安、ひいては、無力感に陥ることになります。

   余談ですが、昨年(2011年)の「今年の漢字」

   何だったか覚えてます・・・・?

   正解は【絆】でした。

   フロム的に解釈すると、

   日本全国民が、自立しておらず、

   孤独感、不安、無力感に陥り、

   まさに、自由から逃走し、

   新たな「絆社会」の中に、

   安心した生活を求めている・・・・

   ということでしょうか?

本題に戻ります。

そこで、孤独感、無力感から逃れるため、

二通りの方法を人間は選ぶのです。

一つは、自己を捨て社会に適応する・・・

みなさんも考えたことありませんか・・・?

「今やっていることって、本当に自分がやりたいこと・・・?」

自分のやりたいことと、今やっていることとのズレで

ストレスを感じること・・・ってありません?

東電の職員も思っているかもしれませんね。

「トップは嘘をいっている。何とかしなければ・・・」

という本音と、

「でも、会社には逆らえないし・・・」・・・

また、自由民主党という

「自由」をうたい文句にしている政党所属の人が

なんと「言論の不自由」社会で生きているんだろう・・・

とテレビ討論を見ていて思うのは私だけ・・・・

自分の本心で生きていけずに、

社会の歯車として生きる、

これが、「孤独感」や「不安感」から逃れて生きる一つの方法です。

新たな社会(職場・政党・世論)の中の常識に

縛られて生きる・・・

新たな社会的「絆」のなかで、

新たな「束縛」を甘んじて受けてでも、

自らの「安心感」「安定性」を求める。

「自由からの逃走」ですね。

結果、全体主義的な社会にも積極的に関わっていくことになります。

もう一つの方法は、

自己を主張し社会不適応となること、

フロムは、これは、人間的には「正常」だが、

社会的には、不適応な人間とされ「異常」と扱われ、

いわゆる、「神経症」というレッテルを貼られてしまう。

軍国主義当時の日本なら「非国民」というレッテルで

処罰されることになるわけです。

これが、全体主義を生み出した

「自由からの逃走」のメカニズムです。

この本は、1941年に出版されたのですが、

70年経った今の日本に、

警鐘を鳴らす一冊かもしれませんね。

さて、フロムは「自由からの逃走」の中で、

「自由」を否定しているのではなく、

本物の自由、そして、本物の自由が広がる社会を提起しています。

それは、以下宮平流解釈ですが、

自由を満喫できる自立した人間達が、

「愛」や「生産的な仕事」を通して、新たな「絆」社会をつくること

これが、従来の「~からの自由」ではなく

「~への自由」(積極的自由)を求める姿勢です。

親から自由になりたい。

早く学校を卒業して自由になりたい。

この人と別れて自由になりたい。

この会社を辞めて自由になりたい。

等は「~からの自由」であり、

喜びは一瞬、以降孤独感に陥り、

結局、それから逃れるため、

また同じような境遇を受け入れてしまいます。

それを、

「○○をする自由」を手に入れるぞ!

「嘘で固めた自分の人生ではなく、○○の自由を手に入れるぞ」

と、将来の決断のための自由、それが、

「~への自由」であり、フロムが勧める「積極的な自由」なのです。

そして、その「積極的な自由」が、独りよがりではなく、

「愛」と「生産的仕事」によって、新たな「絆」が結ばれる必要があります。

「自由人」による新たな「自由社会」

フロムが、インターネットを知っていたら、

インターネット社会に、新たな自由人共同体の可能性を

見出したかもしれませんね。


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Posted by ソクラテス at 10:34 │自由